2016年8月21日日曜日

「世界にはたったひとつのマシン」があり、「ウェブはそのOSである」 全てのスクリーンはその「ただひとつのもの」を見る ウェブの外にはどんな情報も存在しない。

EGカンファレンスで、ケビン・ケリーは興味深いデータを示した。我々が知る形でのワールド・ワイド・ウェブは誕生して5000日しか経っていない。それでは次の5000日にどんなことが起きると予測できるのだろうか、とケビンは問いかけます。その中で興味深いパート。












このところケビンケリーにはまっている。私が信奉するマクルーハンの言葉 「マシンは、人間の感覚器官の拡張的要素である」というコンセプトもケビンケリーから見れば逆転する。「人間は、マシンの感覚器官の拡張的要素となりつつある」と言う。

目から鱗だ。私たちはデジタル写真やデジタルカメラを通じて 1兆の眼と耳と感覚を持っています そうしたものはFlickrやInstagramなどで見ることができる。 ある意味、このマシン(WEB)は個々のカメラのピクセルを通して見ている。
ケビン・ケリーが語る「ウェブのこれからの5000日」

我々が持つすべてのコンピュータや携帯端末 携帯電話、ノートパソコン、サーバーなど -- こうしたあらゆるつながりから私たちが作り出そうとしているのは ひとつのマシン(WEB) たったひとつの巨大なマシン(インターネット上の全てのコンピュータのチップを数えると 10億になる)があって、手元の機器が そのマシンをのぞく窓だと考えれば 私たちはひとつのグローバルなマシンを作ろうとしている。ケビンはWEBを「グローバルなマシン」と語っている。











私たちはこういったものを手にし 別々の機器としてとらえますが 実際は「世界中の全てのスクリーンが ひとつのマシンを覗き込んでいる」 これらは基本的にひとつのマシンにつながるポータルだ。また、この機器を通じてクラウドにつながる。 だから、ある意味では必要なのはクラウドにつながるコンピュータだけなのだ。

「ある意味では 集中コンピューティングモデルという昔のアイデアに 回帰している」ことになる。全てのカメラやマイク、 車のセンサーなどが このマシンにつながっている。全てのものがウェブを通じて流れていく。 例えば、電話はそうなりつつあるが まだ、ウェブを通してはいないが そうなり始めている。













例として、グーグルラボがグーグルドキュメントやグーグルスプレッドシート などの実験でやっていることを考えてみる。 これらすべてはウェブベースになろうとしている。 このマシンを通って行く 「全ての情報はウェブが保有するようになる」だろう。

このマシンの一部になっていきウェブの言語で話し このマシンと語るようになる。「 ウェブはある意味一種のブラックホール」のようなものだ。 全てのものを呑みこんでいく。 すべてのものはウェブの一部になるの。 あらゆる物、私たちが作りだした物が、 ウェブ性とか接続といった単純な概念に組み込まれて このマシンの一部になる。 その結果、ユビキタス コンピューティングのように環境がウェブ化するのだ。

では、何をすべきなのか 私の意見は「たったひとつのマシン」があり、「ウェブはそのOSである」 全てのスクリーンはその「ただひとつのもの」を見る ウェブの外にはどんな情報も存在しない 共有することは得ることである。「ただひとつのもの」は私たちでもあり、私たちはその中にいる。
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