2014年11月15日土曜日

伊藤穰一氏が語る「もはや計画は不要になった」、いまや「フューチャリスト」ではなく「ナウイスト」へのパラダイムチェンジ

MITメディアラボ・伊藤穰一氏が語る「もはや計画は不要になった」"インターネット後の世界"と"新しい原理" を見て読んで、計画をしないからこそ生まれるイノベーションは、大いに合点がいく。
Luo Beah






























私の経験でも60年代の入れ墨のTシャツ、 80年代のBe-1の開発など実は計画しないことで生まれたイノベーションだった。計画とはインプット、行動はアウトプットから始める。「計画」不要、創造性向きの環境だ。計画がいか変化を阻害しているという指摘が大いに共感できた。


(以下は| ログミー[o_O]「もはや計画は不要になった」 MITメディアラボ・伊藤穰一氏が語る、"インターネット後の世界"と"新しい原理”から引用省略)

多くの会社組織は計画に日々全力で取り組んでいる。しかし変化は計画できない。世の中は常に移り変わるというのに「計画」は死守される。世の中の変化は常に止まらないのだから、創造性と計画は常にトレードオフの部分がある。












何しろ大きな変化はジョーイの記事の中でも述べられているように、ソフトウェアだけでなくハードウェアでさえ基本ゼロコストでプロトタイピングでスタートが切れるようになったことだ。未だに製造段階になるとハードルが高い。しかしクラウドファンディングなどで資金を集めることが出来れば、それすらも乗り越えることは可能だ。

だから、ここでジョーイが述べている「フューチャリスト」ではなく「ナウイスト」へのパラダイムチェンジは本質的な時代の変化を言い当てていると思う。
Lou Beah



























「計画」に依存せずに成長を遂げられるチームは「今」を生きる。過去に通用したような競争優位性のロジックが成り立たない世界で、どういった方法でスケール可能な価値創造をやり遂げていくのか?大きく世界を変えられる様な製品戦略を、いかに「計画性」に囚われずに進めていくのか?

あれこれ計画する、なんて考えをやめることです。そして周囲をよく見渡し、関心あることをまとめ、常に学び、素晴らしい今に気づくべきです。これがジョーイの提言だ。「準備をやめる」ことは大いなる勇気と日々弛まざる学びのプロセスを意味する。決められた「計画」を不要とし、その場の瞬間的な気付きや触発、偶然の出会い、発見、発明に際して自由であること。そういうチームやビジネスユニットの登場が、まさに期待されていると言える。













まず計画を捨ててみる。そもそもがインターネットもパーソナルコンピュータも人のコミュニケーションを加速し効果的にする通信網および装置として発展してきた。仕様書や日報週報などが、そもそも人の手足(創造性)を縛っていることへの違和感が、ようやく開放される時代なのではないか?

「今」に対して開放的であることを、どう現実に活かしていくのか?まずは「計画」や「準備」を捨ててみよう。「計画」や「準備」を捨て去った後の恐怖や空虚の代わりに、変化を恐れない、充実した、「今」を生きる力が得られるのではないか?逆に言えば、その今を生きる力を得るために捨てるのは、計画や準備に依存しがちな恐怖心なのかもしれない。


















でも、一方ではメイカーズのムーブメントとクラウドファンディングの環境、つまりメイカーズムーブメントの次世代型とも言える、IoTのテクノロジー環境。つまり、コネクト可能でプログラム可能なデジタルデバイスの製造開発環境は、明らからに「計画」不要、創造性向きの環境だ。
(参照したWEB)
http://logmi.jp/17817
http://takahito.hatenablog.com/entry/2014/07/25/060218
logmiの[「学ぶことを今すぐやめよう」 IQ170の13歳少年が語った、”天才”の条件]が面白い。
http://sakainaoki.blogspot.jp/2014/08/logmi-iq17013.html


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