2014年10月7日火曜日

”「好き」は「夢中」を呼び、「夢中」は「深堀り」と「継続」を呼ぶ””努力できることが才能だ”高橋宣行

『「人真似は、自分の否定だ」クリエイターの60訓』(高橋宣行著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の著者が在籍していた博報堂での若者教育の姿が想像できる良書だ。

私は教え方が下手だ。若者も私のことをエイリアン、宇宙人、良くて長島だから、いかに下手なのかが想像着くだろう。私の周辺の若者は、私の生き方や振る舞いを見て学ぶしかない。

しかし高橋大先輩は、さすが多くの若者を教えてきただけあって教え方がとても整理されていて上手だ。この本も素晴らしいナレッジの塊だが、中でも”「好き」のレベルでメシは食えない”が気に入った。

ただ好きなだけではプロの世界では通用しない壁にぶち当たる若者を山盛り見てきたからだ。その時に高橋さんのように”「好き」は「夢中」を呼び、「夢中」は「深堀り」と「継続」を呼ぶ”のように気の効いたことを言ってあげれば良かったのにと後悔する。

以下『「人真似は、自分の否定だ」クリエイターの60訓』から
「好き」のレベルでメシは食えない
「君はなにが好きなのか?」本、タレント、音楽、食べもの、花、国、ファッション、人のタイプ、自分の性格...。若手制作者に対し、このように脈絡なく「好き」について聞く局長がいたといいます。聞かれた側は裸にされるようなものなので、しどろもどろになってしまったのだとか。

しかし、そうすることでいつの間にか、「好き」に共通点や一本貫くモノサシが見えてくる。つまりこの局長は、「好き」を語りながら「自分らしさとはなにか?」を自ら浮き彫りにさせ、「『好き』のレベルで停まるな」と提言していたのです。

プロの世界では「好き」と「うまい」とは一体にならない。「好き」のレベルでメシは食えない。大切なのは「好き」を継いで磨き、「うまい」と言わせること。それが個性となり、売り物のレベルに引き上げられていく。「好き」は「夢中」を呼び、「夢中」は「深堀り」と「継続」を呼ぶといいます。(20ページより)















”努力できることが才能だ”これは私もよく言う言葉だ。大量のアウトプットを出し続ける努力が出来ることは才能があるからだ。

あるクリエイティブディレクターが最大の価値観にしていたのは、量。「才能は量で鍛えられる」という考え方です。そして持論は、「人間、そんなに差があるわけない。しつこく考えた人が勝つ」。

古い体質の発想に聞こえるけれども、著者は自身の体験を通してみてもそれは真実だと記しています。あえて「量に負けるな。汗をかけ」とも。アイデアは情報量に比例するもの。

情報量がないと全体が見えず、新しいことも見えてこない。そこで無理やり広げ、探し、引き出し、増やす努力をするからこそ、志向型の領域に浸食していくということです。(22ページより)















Life Hackからhttp://www.lifehacker.jp/2014/10/141006book_to_read.html


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