2011年6月21日火曜日

「未来ちゃん」に続きデザインの未来の話。2007年くらいからデザインのトレンドが、装飾的なものが増えて来たように感じる。特にプロダクトデザイナーによる限定生産のプロダクトに顕著になった。


こういう印象的な装飾性を帯びたデザインが、この長い間続いたクリーンでシンプル、そしてシャープなシルエットに加わってくるようだ。このFAST VASE(速そうに見える花瓶)のデザインは、なぜか?未来を感じる。デザインラボCedric Ragotのデザイン。






























「行動する人が未来をつくる」という原稿を数年前に書いた。いつだったか?未来予測について語ってくれと依頼された際、まず頭に浮かんだのは誰が未来をつくるのか、ということである。科学技術の進歩は、社会のあらゆる側面で画期的な利便性や効率性を発揮する。いまでは携帯電話が無かった頃を思い出すのが難しいが、つい20年前までは、まだまだそれなしで多くの人は生活していた。このような技術の進歩を予測することも大事だが、それを使おうとする人間の意思や願望こそ、未来をつくっていく源泉となっている。

そもそも人類は歴史的に見て、想像したことをほとんど実現させてきた。自動車も、飛行機も、コンピュータも。つまり未来は人々のビジョンや願望がまずあって、それに技術が備わったときにつくられるのである。未来をつくるには、それを想像する力が重要なのだ。昔話で恐縮だが、26年前に日産Be-1の開発に関わったが、それ以降、自動車のフォルムは丸が主流となり、自動車デザインの歴史を変えたと言われる。しかし私は、そんな未来を予言していたわけではない。当時、自分の感覚にもっとも合った車の形を表現しただけであった。子供が車の絵を描くと丸くするのと同じように、私にとって望ましい車のイメージは、丸い形だと自然に思えたのだ。それを表現しただけの話であり、未来をつくるというのは、その程度のことにしかすぎない。

私に運があったのか才能があったのか、わからないし、それを知ろうとも思わない。いまでも、ただ純粋に新しい何かをつくろうと考えているだけだ。そもそも未来とは何か。現在とは何か。いまは現在だが、一秒経てば未来が来て、現在だったものは過去になる。そう考えると、未来と過去の分岐点となる現在は、極限まで薄い剃刀の刃のようなものである。その断面が過去と未来のどちらに所属しているかに、大きな意味があるまい。いまというリアルタイムが未来に最も近い断面であり、それはまさにいま我々が体験している最中である。

未来の兆しとなるものはいまの中に無数に存在する。人口減少、高齢化、中国やインド経済の新興など、予見できる「点」は無数にある。これらの点を結んで網にしたものがビジョンとなる。この網は、どの点を見つけてどの点と結ぶかによっていかようにも変わる。つまり点の結び方によって描く未来が違うのである。このように描いた未来を実現させる最後の力は、行動することにつきる。頭の中で考えているだけでは、失敗するリスクもないが、何も見えてこない。未来をつくる上で行動しないことが最大のリスクなのだ。失敗するかもしれない状況で、必死に考えて行動すること。それによって、頭脳は追い込まれ、肉体は研ぎ澄まされる。こうしてリスクを怖れない人が、未来をつくっていくのだ。

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